2022年2月22日午後2時22分 清涼院流水氏、明治神宮関係者に大鳥居前で怒られる

タイトルからして何のことだ、と首を傾げる方が大多数だと思いますが……あるいは、2022年2月22日午後2時22分の時点で、明治神宮大鳥居前にいて、事情を知っている方が検索をかけてやってきてくれたか……どちらかはわかりませんが、これは備忘録……いや、あんな印象的なイベントそう簡単には忘れないとは思いますが、細部は時間の経過と共に忘れていく可能性があるので、そこを埋めるべくこうして記録しておこうと思った次第です。

なお、当事者である清涼院流水氏は、もう刻限を過ぎたので、ネットで書いても良い、という許可は受けております。

もうすでにかなりの方がツイッターで呟いているとは思いますが、誰にでも見やすい形で残しておこうと思い、こちらのブログに書き留めておこうと思います。

全ての始まりは、2004年の3月? それとも4月? 明確な購入日がもう自分でもわからないのですが、雑誌の裏に書いている該当雑誌の発行日は平成16年4月1日、とあります。

引用 ザ・スニーカー 浅井ラボ 宮城/KADOKAWA

今からおよそ18年前、私が大学生の頃になります。

こんなブログを書いているくらいですから、まぁ、私はオタクとカテゴライズされる種類の人間であり、それは大学の頃からなんですよね。

この頃はラノベを結構読んでいた時期であり、偶然赴いた書店でザ・スニーカー、という雑誌を見かけたのです。

当時のスニーカー文庫には、まだ浅井ラボさんが『されど罪人は竜と踊る』を出版していましたし、安井健太郎さんも『ラグナロク』を執筆されており、急死によって未完に終わってしまった吉田直さんの『トリニティ・ブラッド』も愛読していたので、それらの作品が掲載される、あるいは連載されていたザ・スニーカー、という雑誌のことは知っていました。

が、定期購読していた訳ではないので、ザ・スニーカーの2004年4月号を手にしたのは、本当に偶然目にして、知っている作家さんが連載されているから、何となく、立ち読みを始めた、と記憶しています。

で、パラパラと読んでいると、『読んだモン勝ちキャラねっと』とかいう、中々にふざけたタイトルの作品があった訳です(笑)

引用 ザ・スニーカー 清涼院流水/KADOKAWA

結構な文章量になるので、『読んだモン勝ちキャラねっと』を可能な限り要約してみると……

2022年2月22日午後2時22分、『キャラねっと 愛$探偵の事件簿』という作品内で指定した場所に、『キャラねっと 愛$探偵の事件簿』の初版本と、ザ・スニーカーの2004年4月号を持参し、ある合言葉を言う事。

なお、他人にこのことを言った場合、参加条件を失う。ネットで公開しても同様。

……当時は2004年です。

そう、18年後に、指定した場所に、本を二冊持って集合し、合言葉を言え、というゲームですね。

最初に見た時は、書店で立ち読みしていたのに笑い出した記憶がありますよ。

こんなバカげたことを考える人はどんな人なのか、本当に来るのか、あるいはこれもフィクションで、私が騙されているだけではないのか。

まぁ、とにもかくにも愉快極まりない案件でしたので、私はその場で『キャラねっと 愛$探偵の事件簿』の初版本を書店内で見つけると、読んでいたザ・スニーカーと共にレジまで持っていて会計したんですね。

引用 清涼院流水/角川書店

ザ・スニーカーの中には、先程申し上げた通り愛読している作品があったので、それらを読んだんですが、『キャラねっと 愛$探偵の事件簿』については……物語冒頭で、主人公のキャラクター、池丸大王というキャラクターがゲーム内で殺されてしまうんです……彼がゲーム内で池丸大王が殺された時、現場には他に二人のキャラがいました。

主人公が嫌っているミスタードットコムとかいうキャラのことも色々と主人公は言っていましたが、私はこう思いました。

『これ、ミスターはよう知らんけど、現場にいたキャラが二人で共謀したか、PC上でのゲームなんだから、一人でPC二台使って自作自演すれば、池丸大王を殺せるよね?』と。

まさか、そんなトリックは使わんだろう、と思って読み進めたらその通りのトリックだったので、『つまんねえぇっっ!』と叫んだ記憶があります(笑)

本に向かって『つまんねえぇっっ!』と叫んだのは、後にも先にもこの作品だけなので、よく覚えています。

多分、現実に行われる『ゲーム』のことが無ければ、この作品を全部読もうとは思わなかったでしょう……実際、私、この『キャラねっと 愛$探偵の事件簿』の内容、あまり覚えていません(清涼院さん、すいません)

とりあえず、読み進めた結果、明治神宮の大鳥居が集合場所であることはわかりました。

また、合言葉も除夜の鐘(読みは『じょやのかね』ではなく、モーニング・ベル)であることはわかったので、もう用は済んだとばかりにすぐに段ボールに閉まった記憶があります(オイ)

一年たって就職すると、当時いた福島から青森県弘前市に引っ越した私は、一度目の『キャラねっと 愛$探偵の事件簿』との再会を果たします。

ああ、そう言えば2022年になんかゲームするとかって内容で、段ボールに押し込めた本があったな、と思って、2004年4月号のザ・スニーカーをもう一度読んだ記憶がありますね。

そこの会社が、あの悪名高き中央出版系列の会社だったんですが……支社が一年もたずに解散し、私は再就職のための活動を開始、秋田のホームセンターで働くことが決定した時が、二度目の再会になりますね。

この時も段ボールから引っ張り出し「一々段ボールから引っ張り出すのも面倒だから、カラーボックスに常備しておくか」と本格的な保存を始めたのが、2007年でしたね。

2011年には、東日本大震災があり、秋田のホームセンターは、棚にあった商品が全部床に放り投げられた状態だったので、家に帰ってからブチ撒けられた本を整理し、『キャラねっと 愛$探偵の事件簿』と2004年4月号のザ・スニーカーが無事であったことに、安堵の息をついたことを覚えています。

2012年には勤めていたホームセンターを退社し、独立を試みるものの失敗。

2013年に再就職しますが、リーマンショックの影響もまだあったのか、一年のブランクがあった30過ぎの者を正社員で採用する人事はおらず、私は派遣で入社することになります。

実家の青森に戻る際、引っ越し用の段ボールに『キャラねっと 愛$探偵の事件簿』と2004年4月号のザ・スニーカーを入れるのですが、

(この2冊が無事なんだから、私の人生もダイジョブダイジョブ、何とかなるさ)

と、どういう理由でそう思ったのかはわかりませんが、不可思議な論理で自身を鼓舞していたことを覚えています。

派遣で入ったその会社から、正社員で登用したいという話はあったものの、派遣時代は額面で17万あったのを13万、派遣時代から給料を4万減らした上で休日も月8日から月6日に減らすという条件に、私はやってられんと退社。

次に入った会社は、上司とうまくいかず半年で退社。

これは結構ヤバい流れだな、と思いつつも、正社員ではどこにも雇ってもらえなかったので、工場勤務の派遣で、製薬会社に2015年に潜り込みます。

12時間の交代勤務で、先輩達のほとんどが数年で身体を壊しているのを知った私は、正社員での登用のお誘いもあったのですが……先輩達を見ると、ここで定年まで働く事は出来ないなと判断。

出来る限り早く転職をしなければいけないなと考え、一年勤め上げた後に、現在の神奈川の会社に就職することになります。

神奈川の会社に転職したのが、2017年で、この時も引っ越しの時に段ボールから『キャラねっと 愛$探偵の事件簿』とザ・スニーカーの2004年4月号を取り出したのですが、この時点で13年が経過していました。

そりゃ私も老けるよなぁ、と感慨に浸りつつ、その頃になってくると、一年が経つたびに、カラーボックスの中に保存していた『キャラねっと 愛$探偵の事件簿』とザ・スニーカーの2004年4月号の存在を確認していましたね。

ただ、それほど意識はしていませんでした。

愉快極まりない提案が出されたゲームがあったよね、というくらいの認識です。

しかし、ゲーム云々と言うよりも、時の経過の重みを、この二冊の本は、私にズシリと与えていくのです。

2019年、祖母が永眠した際、何とはなしに、ザ・スニーカーの『読んだモン勝ちキャラねっと』をもう一度読み直すと、こんな一文がありました。

『誠に残念なことではあるが、18年もあれば、私も含めて、このゲームを知る者たちの何パーセントかは、確実に、この世を去る。幸運にも私が生きていてゲームを成立させられたとしても、キミが退場者にならないかどうかは、キミ自身の運にかかっている。もしキミがゲームにノッてくれなくても、今この同じ時間を共有したキミが18年後も元気でいてくれれば、それだけで私にとっては本当に、無上の喜びだ。』

人は、いつか死ぬ。

自分に残された時間はどのくらいあるのか、というのを意識したのが2019年でした。

そんな状況下で、コロナだコロナだと半ばパニックめいた環境下になった2020年を、私は出来るだけ、ストレスのかからない範囲で、人が密集する場所は避けて行動し、それを2021年も続けました。

人はいつか死ぬ。だから、限られた命を大事にしようと。

それに、ここまできたら、ゲームの行方が気になってしょうがなかったのです。

2022年2月22日午後2時22分、明治神宮の大鳥居前に、清涼院流水氏は本当に来るのか?

実は『うっそぴょーん、これはフィクションでーす』みたいな結末だったりするのか?

本当に開催するとして、何人来るのか?

清涼院流水氏はゲームの勝者は100人どころか、10人もいないはず、と言っていたが、二桁いくのか? 二、三人くらいじゃないの? と思いつつ……

2022年2月22日午後1時、早めに私は明治神宮に到着しました。

田舎者なので、道に迷ってゲームオーバーにならないように、という配慮です。

明治神宮の中を散策しながら、13時30分頃に、小腹がすいたので売店で団子を購入し、お腹を満足させていざ大鳥居に!

…………え? ゴシゴシゴシゴシ(眼を擦る)

ウソぉぉぉん?!

まだ一時間前だと言うのに、30人くらいは大鳥居の前に人がいるぅぅぅ?!

いや、待てあの人達全てがゲームの参加者とは限らん、と思って歩み寄ると……

『キャラねっと 愛$探偵の事件簿』とザ・スニーカーの2004年4月号を携えた集団がおるーーー! しかもあちらこちらに?!

待て待て待て、いくら何でも多過ぎないか、と思っていたが、この時の私に言いたい。

こんなモノで驚くな、と。

午後2時になると、ヤバいことになっていました。

何がヤバいって、人の数が……これは、百人くらいいるのでは、というレベルに達していたのです。

しかも、あまりにも人数が集まりだしたことで、私の近くにいた人が神社関係者に事情を聞かれるシーンもありましたし、警備員らしき人も出張ってくるは、明らかに神社関係者と思しき人もやってくるわ……

うん、コロナ下の環境なのに、ゴメンナサイとしか言いようがありません……

午後2時22分。

清涼院流水氏、登場。この時点では、多分、百人どころか、二百人いたかもしれない。

密です、めちゃくちゃ密です……本当にすいません。

清涼院流水氏、明治神宮関係者から『大鳥居前を集合場所に指定するな』という実にもっともなお叱りの言葉を受けた、と説明され、移動を開始。

この時に撮影した写真に、それと思しきシーンがありました(汗)

明治神宮関係者の左隣に女性の方がいらっしゃいますが、その右隣が清涼院氏……多分、怒られてたんやろなぁ……

何せ、明治神宮の立場からすれば、平日なのに大鳥居前の監視カメラに100人を超える人間が集まっているんだから、そりゃ何事だと慌てて警備員も招集するし、こういう時勢だからテロを警戒もするよなぁ。

『キャラねっと 愛$探偵の事件簿』とザ・スニーカーの2004年4月号を持っている人、というのがゲーム参加者のマックスですが、『キャラねっと 愛$探偵の事件簿』については、初版本という指定があります。

初版本は一万あるか無いか、というレベルなんじゃないかと推測するんですが、あの初版本を呼んだ人の、200人だと仮定すると、2%以上の人が、18年の時を越えて集合する……そりゃ誰も想像出来ないと思う。

【なお、他人にこのことを言った場合、参加条件を失う。ネットで公開しても同様。】

というルールがあるため、示し合わせて行く、ということもルール違反になって出来ないのに、200人以上の人が集まっている。

しかも、18年間、ネットに誰もこの情報を公開しなかったのがまたスゴイ。ちょっとした社会実験のサンプルとして論文書けるんじゃないでしょうか?

事実は小説より奇なり、とはよくぞ言ったもの……あぁ、だから大説なのか、と清涼院氏のファンならば言うかもしれない(笑)

清涼院氏はゲームの勝者は多くて数人と考えていたらしく、ゲームの勝者にプレゼントも用意する、と『読んだモン勝ちキャラねっと』には書いていましたが、明らかに100人以上、もしかすると200人いるこの状況下でそのプレゼントを渡せる訳も無し(爆)

しかも、『読んだモン勝ちキャラねっと』には、『もし、ゲームの勝者が1000人いれば、1000人ぶん用意する。それが夢を信じてくれた人への礼儀だろう】と述べているので、大変大変♪

なんせここには、明らかに100人以上、下手すりゃ200人以上もの同志が集まっている(汗)

後日、ここに集ったゲームの勝者には連絡をすることを約束し、清涼院氏は原宿駅前で1時間以上かけて、ゲームの勝者の皆様方に写真撮影に応じたり、一人あたり一分に満たないとはいえ談笑したりと、精一杯の誠意をもって応えてくれました。

人が多過ぎて見えませんが、この奥に清涼院氏と御付きの編集者と思しき方がいらっしゃいました。

原宿駅前を通りかかった人達は、あの集団はなんだろうと奇異の視線で見られていましたが、ごめんなさい、その一人は私です、お詫び申し上げます。

コロナ下なのに何をやってんだ、と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、18年という歳月と、事実は小説よりも奇であったことに免じて頂ければと思います。

ゲームを無事クリアされた志を同じくされた皆様、お疲れ様でした。

クリアされなかった方も、今日を一日、無事に過ごせたことをお祝い致します。

清涼院流水様、歳月の重みを実感させて頂く機会を与えてくれたことを、深く感謝申し上げます。

ありがとうございました。

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