『殺し愛』ドニーことドナルド・バッハマンの声優は大塚芳忠さん

昨日掲載したホーの考察では、復讐という切り口から『殺し愛』という作品に登場するキャラが抱えている咎を、個人的には炙り出したつもりです……うまく表現出来たか、は正直自信がありませんが。

引用 Fe/KADOKAWA

そこの復讐という行為を考えると『殺し愛』に登場するキャラは、インド君やエウリペデス・リッツランも、直接その手を血に染めていないだけで、罪に塗れている可能性が否定できないので、この復讐という円環から逃れられない―短くまとめると、そういう切り口でした。

そして、どこまでも愚直に復讐・仇討ちという行為を実行に移したのが前回考察したホーであり。

彼は、復讐を、仇討ちを本当に求めていたのだろうか、と実際に様々な行動を取り、幾人もの命を殺めてきたであろうことは想像に難くないにもかかわらず、そんな疑問が出てきてしまう。

引用 Fe/KADOKAWA

今日、考察してみるキャラクターは、ドナルド・バッハマン、通称ドニー。『戦争仕掛屋』(トリガー)の異名を持つ、港町バロセラに拠点を置く、組織のボスです。

彼の初登場は4巻のFILE22。机に乗って爪をかむという、かなり特徴的な登場の仕方をしたミファを嗜めるシーン。

組織のボスという立場にふさわしい、とは言えない感じの薄暗い書斎で、乱雑に机の上に広げた書籍を見るでもなく、電話を用いて指示を下す様は、むしろ悪の参謀というイメージで、FGOで言うならモリアーティーっぽい感じ。

ただし、あんな愉快なアラフィフではなく―多分、本気になったモリアーティーって、姿を見せることすらなく、裏から糸をひいて悪事をなすと思うんですよね、私の想像だと。仮に何かしらのミスが発生して、ホームズに尻尾を掴まれても、その尻尾はすぐに切り捨てられる、っていう安全策を講じた上での暗躍。

このドニーの初登場シーンを、私はそんなモリアーティーと重ね―しかし、数ページ後に、すぐ否定することになりました。

 ドニ―の顔がアップになったこのシーン―すごく、やつれているように私には見えました。

引用 Fe/KADOKAWA

エウリペデス・リッツランこと、エウリくんは、ジノンの凶刃によって生死の境を彷徨うことになりますが、そのジノンに指示を下し、さらにはエウリくんが襲われたことをもみ消し、船の航海を続けさせたのは間違いなくドニーの指示であり、行動は間違いなく悪党なんですが―彼の顔は、組織のトップとも、悪の参謀にもとても思えない、何かに疲れ切ったような目をしている、という印象を受けました。

多分、Fe先生、意図してそのようにドニーというキャラクターを描写したのでしょう。その証拠にFILE24では、ミファにかなり心配されています、何をそんなに焦ってる、と。

引用 Fe/KADOKAWA

ですがまだ登場して間もない、ドニーというキャラクターを、当時リアルタイムで読んでいた人々は当然彼がどういう目的で動いているのかもわかりませんし、ひょっとしたら解釈の仕方だけで、ドニーは何を求めていたのか、という回答が読者ごとに違いが出る可能性もあります。

ドニーが求めていたものは何か、という考察を深めていく前に、彼が『戦争仕掛屋』(トリガー)の異名を持つに至った経緯というか、理由をざっと書いていきましょう。

『殺し愛』の舞台はかなり物騒な土地であることはこれまでの考察でも語ってきていましたは、紛争地帯が近くにあるのか、このドニーという人物は居場所を喪った孤児を引き取り、名を与え、育てています。

これだけだと足長おじさんのように思えますが、『戦争仕掛屋』(トリガー)の異名を持つ人物が、そんな善良なことをするためだけに子どもを引き取る訳がありません。

現に、こんなシーンがあります。

捕らえたソン・リャンハを、ドニ―が名前を与えたニッカが、意図的に逃してしまいます。しかも逃した理由が、『死に体の獲物なんてつまんねぇだろ?』だから、まぁ中々の戦闘狂ぶり。

そんな戦闘狂ニッカに告げたドニーの台詞がこちら。

引用 Fe/KADOKAWA

子どものように育ててきた人物であっても、決して裏切りは許さない。

これは、駒のように扱っている、とも受け取れます。

まぁでもこれは、ニッカに落ち度が有り過ぎるからなぁ……釘刺しとかないと、また同じことやらかすかもしれないし……うん、こうして書いているとドニ―が非情な人物というより、ニッカが色々とおかしいことがわかってしまった(汗)

まぁ実際のところは、ドニーはある人物の死を偽装するために、何人もの人間を殺している過去もありますので、非情な人物であることは間違いありません。

引用 Fe/KADOKAWA

そして、子どもをこうして育てて、自分の兵隊にしているという点がスゲェ胸糞悪りぃ。ドニーというキャラクター、この点が大嫌いですね、私。

特に、そう、とある子どもを引き取り、引き取られた子どもがどうなったかというエピソードがありますが、その引き取られた子は『やっとドニー先生のお手伝いができるんだ』と胸をときめかせており、将来の目標、というほど具体的ではありませんが、『僕もいつか 先生のみたいに誰かを助けられる人間に』と呟いているシーンもあり、ドニーを心の底から敬愛している様子が伺えます。

まぁ、実際にドニーに引き取られなければ、かなり悲惨な境遇だったと思われるので、敬愛、尊敬する理由もよくわかります。

この少年、ドニーからある頼み事をされるんですが、それが、まぁ実に危ない仕事でして、成り行きで一緒に行動することになった少年から『お前 今 自分が何をさせられているかわかっているのか?』とまでいわれてしまう始末。そりゃそうでしょう、道案内をして欲しいとドニーから頼まれた人物は、あろうことか彼に、トランクに入っている少女を託されてしまうのですから。

引用 Fe/KADOKAWA

しかし、純粋な彼はその警告の意味もわからず、ドニーの頼み事をこなそうと奮闘します。

ドニ―に引き取られた後に成長した彼と、成り行きで一緒に行動する事になった少年、トランクに入れられていた少女についてのエピソードは、6巻、7巻をお読み下さい。

このエピソード、数々の不運が重なってしまった結果なのですが、そもそもの発端はドニーにあると私は考えています。

『案内をして欲しいとドニーから頼まれた人物』が、ドニ―に引き取られた子どもに、トランクに入っている少女を託したから発生した事案だ、と考えれば、大本はドニ―ではなく、ドニーに依頼した『案内をして欲しいとドニーから頼まれた人物』ではないか、と思われるかもしれませんが、この人物が『案内をして欲しい』という理由も、元を辿ればドニー達と深く関わっており、私から言わせて貰えれば、この事案の元凶はドニーなんじゃね、とすら思えてしまうんですよね。

実際にそういう指示をした大元凶は別にいるんですけどね。

まぁ、これは私がドニーというキャラクターが好きではないからこそ、そうした視点になり得るかと思っています。

が、このドニ―こと、ドナルド・バッハマンも復讐の連環からは逃れられなかった……と言うのは、少々語弊があるでしょうか。

実際、彼はシャトーちゃん達も巻き込んで、とある人物を抹殺すべく動いていたように作中では見えましたし、その人物に銃口を向けてもいます。

引用 Fe/KADOKAWA

が、結局、彼は復讐を為そうとした相手を、殺すことはしませんでした。

シャトーちゃんが、腑に落ちない、と言っているのは完全に私の内心を代弁してくれているとさえ思いましたが……ネタバレしないように書いているので、これを読んでいる方も腑に落ちないと思われている可能性が高いかと思われますが、彼がシャトーちゃんにしたことを考えると、シャトーちゃんに天秤の役割を果たして貰いたかったと思うんですが……なら、何故あそこでドニーを敬愛していた少年の話を出したのか。

これはシャトーちゃんの心理や行動を己が望む方向に誘導したかったからではないか、と私には思えて仕方がないので、そこも、ドニーというキャラに私が嫌悪感を持っている理由です。

それでいて、ドニーこと、ドナルド・バッハマンの最後のシーンは、Fe先生の該当ページの描き方から考察するに、花びらが散っていく感情を動かすシーン……ドニ―は、憎悪の連鎖から抜け出せた、とでも言わんかのような描き方のように見えるんですよね。本来であればそれは祝うべき事柄のはずなんですが……私としては拍子抜け、としか言えませんでした。

ハッキリ言って、ドナルド・バッハマンが何を考えてああいう最後を迎えたのか、何度読み返しても私には納得がいかないし、共感も出来なければ理解も出来ないんですよね、ドニ―というキャラクターが。

全部、中途半端に見えてしょうがない。

恐ろしいし、リアルにこんな人がいたらお近づきになりたくはないんですが、それでも、最後まで復讐を完遂しようとしたホーの方が、よほど共感出来てしまうんですよね。

そんなもんですから、【え? え? ドニーこれで退場なの、マジで? コイツ、あれだけ悪どいことやっといて、こんなスンナリ退場して良いの? こんな悪党にこんな上出来な最後用意してやっていいの?】と言うのが私の感想です。

大塚芳忠さんにはドニーの役を頑張ってもらいたいんですが、どうにもこのキャラクターに、迷いというかブレというか、読んでいて心地良い葛藤とかではなく、胸糞悪くなる優柔不断さみたいなモノを感じてしまうので……今日の所はこの辺で終わらせて下さい。

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