本日は『パリピ孔明』の主役である、諸葛亮(孔明)の声優が、置鮎龍太郎さんになった推測する理由をあげていきます。
引用 小川亮 四葉夕卜/講談社
で、例によってこの諸葛亮(孔明)というキャラクターを考察することで、監督さんになったつもりで、置鮎龍太郎さんが起用された理由を考えていこうと思います。
まぁ、これがマイナーなキャラクターであるならば、そのキャラが現実に存在した人物である以上、過去の諸葛亮(孔明)の行いを分析していくのが最良なのでしょうが……諸葛亮(孔明)……三国志でもトップクラスに有名な知将、三国志のゲームやれば知力最高値なのは大概、孔明であることからもイメージがほぼ固まっているキャラクターなんですよね。
私はそれほど三国志に詳しい訳ではありませんが、私の知っている範囲では、蒼天航路の孔明くらいですかね、イロモノの孔明は。
と言っても、私も蒼天航路を読んだ訳ではないんですが、友人が読んでいて、彼が『イロモノ孔明だ』と言っていたのを思い出しまして。
孔明でイロモノ? と思い、蒼天航路をウィキで見てみたんですが……金髪で瞳が三つとかって……張飛よりも背の高い筋骨隆々の大男、という表現もあるけど、それが霞んでしまう(笑)
イロモノ 孔明 でグーグルに検索をかけると『パリピ孔明』が出てくるんですけど、これ、どうして蒼天航路の孔明が出てこないのか不思議なレベルです(笑) 今度機会があったら、蒼天航路の孔明も、文章ではなく漫画や画像で見てみよう。
で、イロモノ 孔明で検索かけると出てくる『パリピ孔明』ですが、イロモノ、というよりコメディ路線ではありますが、こちらはイロモノの孔明ではなく、立派に諸葛亮だと思うんですけどね。
引用 小川亮 四葉夕卜/講談社
スマホやペットボトル、時計、加湿器に興味を示すところなんて、現代人から見ると滑稽で面白く読めるでしょうが、理解の及ばないものに興味を示し、知ろうとする知的好奇心は、三国一の知恵者であるというバックボーンにはふさわしいギャグであり、諸葛亮の知の源泉がなんなのか、知らしめる性質を持っているシーンだと思います。
まぁ、最後に、名称が出てこないのですが、筋トレグッズの一種である品で、英子さんが『それは私もわかんない……』というのでオチをつけるのも見事なんですが……あの器具、名前なんだっけ?(マジでわかんねぇ!)
その後の対応も、『才能とは生まれつきのものではなく 学習の結果として身につくものと考えております』『私が知恵を得た暁には 英子さんにそれを還元したく思っております』
才能に対する考え方と良い、教えを乞うためには、何かしらのメリットを相手に差し出すその思考なんて、知恵者と言わずして何と言う、という感じ。
コメディ色ではありますが、前述のエピソードの通り、知恵者、賢い、という従来のイメージに加え、知的好奇心が旺盛で、客を足止めするために『石兵八陣』めいたことをしたお茶目さなど、コメディに寄せてキャラをつくったと思われます。
引用 小川亮 四葉夕卜/講談社
うん、『ププッ』と笑えるようなシーンがなければコメディ足り得ませんからね。
『パリピ孔明』の諸葛亮(孔明)のキャラクターは、コメディ寄りの性質を持つとはいえ、三国一の知恵者という側面も持っているのは前述した通りです。
ならば、その声優に選ばれる方は、声だけで賢者、賢いというイメージを持たせる必要があります。
なら、落ち着いた声音である必要があります。
ちょっと想像して欲しいんですが、ワンピースのルフィや、NARUTOのナルトのように元気いっぱいな声をしているキャラクターが、賢者であるように思えるでしょうか?
逆に、声が落ち着いていても、小さく、低い小声でブツブツと独り言を呟いていそうなキャラクター……ブギーポップは笑わないのオキシジェンがパッと名前が出てきましたが、アイツ、知恵者通り越して未来読めるからなぁ。
話がちょっと脱線してしまいましたが、ブツブツと小声で呟いているような人物や、元気いっぱいの人物が、一見して『賢者』のように見えるか、と問われると、多分、否、なのではないかと思います。
現実には、元気いっぱいでも賢い人、暗く、ブツブツ小声で呟いているような人でも、明晰な考えをする人はいるんですが、あくまで世間一般のイメージとしては、常に落ち着いた声で語り掛けるような人が、賢者のように思われるのではないでしょうか。
そういう意味でも、ボイスコミックの時に、諸葛亮(孔明)の声優を担当したのは、諏訪部順一さん。
たびたび口にしていますが、菌糸類(奈須きのこ)の作品が大好きな私としては、赤い弓兵であるアーチャーのイメージが強い諏訪部さんですが、そのアーチャーは戦上手、かつ抜け目ないというイメージが強く、どういう状況下でも、それこそ死地と言える場面でも落ち着いております(動転したり激昂したりする場面が、無い訳ではありませんが)。
深みがありつつ、相手に安心感を与えるような落ち着いた声音は、確かに諸葛亮(孔明)の要素である『賢者』という部分を声で視聴者に訴える配役。
今回、諸葛亮(孔明)役を、諏訪部さんが担当されなかったのはスケジュール的な都合なのか、あるいは金銭面等の、事務所的な都合であったのかもしれません。
あるいは、諏訪部さん以上に、諸葛亮(孔明)に適任だと思える方が、監督さんのイメージに合った方がいらっしゃったのかもしれません。
さて、そろそろ本題に入りましょうか。
『パリピ孔明』における諸葛亮(孔明)の声優は、何故置鮎龍太郎さんが起用されたのか。
推測出来る限りの案としては―一つ目、諏訪部さんの時にも書きましたが、スケジュール的な都合。
監督さんの考える配役の中で、諸葛亮(孔明)であれば、落ち着いた声音が適任だろう、と素人の私でも考えるのですから、監督さんが考えない訳はないと思うのです。
で、その落ち着いた声音というか、適任だと思われる声の中に、スケジュールの都合がつく人の中に、置鮎龍太郎さんがいた。
もしくは、金銭面などの事務所的な都合……これが、置鮎龍太郎さんが諸葛亮(孔明)の声優に、起用された『かもしれない』第一の理由です(あくまで推測なので)
第二が、やはり『適役』だったから。
スケジュール云々を抜いて、置鮎龍太郎さんの『声』
PVでの声を聞いてみましたが、正直に言いますと、諏訪部さんでも置鮎さんでも、『どちらでも適役だな』と思っていたんです。
聞き比べて貰えるとわかりますが、どちらも落ち着いた感じの声音で、いかにも知恵者という感じの、聞く者を安心させるような声音なんですよね。
実際、最初に置鮎さんの諸葛亮(孔明)の台詞を聞いた時も、よく言えば諏訪部さんに負けず劣らず、悪く言うと、うん、孔明だな(意味不明)という、世間一般が求める孔明像そのままかな、というイメージでした。
ただ、『パリピ孔明』に出てくる諸葛亮(孔明)は、三国志に出てくるキャラではなく、コメディ作品『パリピ孔明』の諸葛亮(孔明です)
笑いあり、涙ありの青春ものの作品なわけです。
だからこそ、『あなたの歌に救われた人間が 目の前にいるのですから』という、神算鬼謀が代名詞の諸葛亮(孔明)ではなく、一人の人間としての情に訴えたこの台詞を聞いた時、私は置鮎さんの方が、より適した配役なのかもしれない、と感じましたね。
しかし置鮎さん、三国志の色々な作品に出演し、様々な役を演じているはずなのですが、意外にも諸葛亮(孔明)は初めてとのこと。置鮎さん自身が楽しみだと言われているので、どのような演技になるのか心待ちにしたいと思います。